弱者のためのボン教ゾクチェン瞑想

シャンシュン・ニェンギュの教え

瞑想しない瞑想

ゾクチェンの教えを日本で伝授している箱寺です。ゾクチェンの教えやチベット瞑想について執筆しています。よろしくお願いいたします。

 

 

今回の投稿では今まで黙って秘密にしていたことを告白します。本当に今まで黙っててごめんなさい。ゾクチェンは瞑想ではないのです。

 

 

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チベット式香炉

 

 

ただいま日本のみならず、世界中で瞑想ブーム真っ最中。世の中には本当にたくさんの瞑想が存在します。世の中の変化や移り変わりをシュミレートする瞑想。森羅万象の正体は名前だという瞑想。

 

 

呼吸や身体の動きを観察する瞑想。超越的な存在や本尊をイメージする瞑想。自分の身体を切り刻み捧げる瞑想。マンダラやチャクラを思い浮かべる瞑想。特殊な呼吸法に意識を集中する瞑想。数え上げていったら切りがありません。

 

 

私がネパールのボン教僧院で修行してきた瞑想がゾクチェン。日本ではイマイチぱっとしませんが、欧米では大変人気があります。もちろん、チベットでも人気があります。

 

 

私の瞑想教室ではこのゾクチェンの瞑想を伝授しています。今まで黙っていて、ごめんなさい。今日は本当の話をします。本当はゾクチェンは瞑想ではないのです。

 

 

瞑想とは先ほど例を挙げたとおり、意識をなにかの対象に集中させることを意味します。その対象は、呼吸の動きだったり、本尊の姿やマンダラだったり、マントラだったり、慈悲の気持ちだったり。

 

 

でもゾクチェンではどこにも意識を集中させません。ゾクチェンでは心をむき出しにして、そこにあらわれてきた本来の心の姿に留まるだけなのです。そして、そのむき出しになった心こそがブッダの心なのです。

 

 

この本来の心は意識をどこかに向けた瞬間、二元論的な思考に覆われてしまうのです。それが呼吸の動きでも、超越的な存在でも。ですから、いわゆる瞑想をすればするほど本来の心(ブッダの心)から遠ざかることになるのです。

 

 

ゾクチェンは瞑想ではなりません。もちろん、妄想でもありません。頭でっかちな理論でもありません。意識を忘れていきなりブッダの心に飛び込む教えです。ゾクチェンは瞑想しない瞑想の教えなのです。

 

 

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