弱者のためのボン教ゾクチェン瞑想

シャンシュン・ニェンギュの教え

死と生の不可思議1/3

f:id:yuntonbon:20210925082628j:plain

死とは生とは・・・
三宝に帰依します。
 
現在の日本人は、まったく死やブッダの教えに興味を持ってないように思えます。常日頃、誰もが仕事や日常生活のことにかかりきりで、毎日忙しく暮らしています。
 
まるで、生きていることを忘れてしまっているかのようです。
 
科学全盛のこの時代。死について考える教えやブッダの教えは時代錯誤の役に立たない遺物だと考えていることでしょう。「怪しい、無用の長物、迷信」などなど。
 
死やブッダといった言葉を耳にするや否や、顔をしかめます。「そんなくだらないことを考えるくらいなら、仕事のことを考えたい」
 
しかし、愛する人や家族が亡くなると、そうした人たちでも考え方がガラリと変わることがあります。大切な人を失い、しばらくの間、孤独感と虚無感に包まれるのです。
 
その次に、故人はどこに行ってしまったのだろうかと、ふと思うようになるでしょう。ちょうどそれは、幼子が亡くなった母親を探すように。
 
その次に、自分の生と死について真剣に考えるようになります。いったい、自分はどこからやって来たのか。そして、死んだらどこに行くのか。
 
このときにブッダの教えに出会う人もいます。ブッダの教えを参考にしながら、自分の生死に向き合うのです。常識や思い込みから離れ、はじめてブッダの教えが心にスルスルと染み渡るのです。
 
すると、当たり前に自分が住んでいるこの世界、そして自分の心と身体が存在する不可思議に初めて気づくのです。
 

【お知らせ】

 

今日積む功徳があなたのところに届きますように。