弱者のためのボン教ゾクチェン瞑想

シャンシュン・ニェンギュの教え

瞑想教室の感想(Yさん、その2)

三宝に帰依します。

 

Yさんは東京の瞑想教室にご参加いただいている男性です。とても知的で、物静かな方です。

bondzogchen.hatenablog.com

 

2024/1/16に再び、瞑想教室の感想をメールで寄せていただきました。ありがとうございます。許可をいただいたので、このブログに転載します。

 

箱寺先生へ。こんにちは。日曜の瞑想教室はお疲れさまでした。今回も教室の感想と最近思うことなど、簡単にメールでお伝えしようと思います。

 

テキストの経典は(たぶん原典からそうなのでしょうが)、用語がとにかく難しいですね。先生も何度もおっしゃっているように、文脈によって意味が異なることもあり、先生の解説をいただいてもなかなか理解は難しいと思いました。それでも、できるだけ質問をして対話することで、理解を深めることができるのではないかと思いました。(前回は頭の中で整理がつかず質問が出ませんでしたが)

 

さて、最近気づいたことがあります。以前にお伝えしましたとおり、毎日の「無常の瞑想」は、今はやっておりません。しかし、昨年10月~12月にかけて毎日朝晩に瞑想していた習慣からか、日常生活の中で「無常の瞑想」の意識が働いているように思います。

 

例えば、道を歩いていてよく使っていた店が閉店していて、跡地に新しい店が開店していたりすると、これも無常かなと思います。たぶん、この意識の働きは、「無常の瞑想」の成就如何に関係なく、私の中でずっと続くのだと思います。

 

親しんだモノがなくなったり、親しんだ人との関係が失われたりすると、無常を感じます。そして、ともすれば、空虚な感情や無力感を誘引することがあると思います。

 

しかし、それはたぶん違うのでしょう。失われたからと言って、親しんだモノや人間関係が空しいのではなく、そこに執着しないということが肝心なのだろうと思います。次回もよろしくお願いいたします。

 

 

【お知らせ】

 

今日積んだ功徳があなたの所に届きますように。