弱者のためのボン教ゾクチェン瞑想

シャンシュン・ニェンギュの教え

瞑想教室の感想(Yさん、その1)

三宝に帰依します。

 

Yさんは東京都に在住の男性で、去年の6月から私の瞑想教室に参加されています。そのYさんから昨年2023/12/28に瞑想教室の感想をメールで寄せていただきました。許可をいただいたので、このブログに転載します。

 

箱寺先生へ。先日の瞑想教室はお疲れさまでした。そして、水曜夜のyoutubeライブもお疲れさまでした。電話サポートをお願いするほどではないと思うのですが、教室を終えて思った感想をお伝えしようと思います。

「無常の瞑想」の場合は何らかの「成就の印」があって終了ということでしたが、「発菩提心の瞑想」マントラを10万回唱えることということで、機械的に唱えてしまうことも可能ですので、かえって、うまく完了したかどうかがわかりにくいかもしれないと思いました

また、講座の前半に六道輪廻の話がありましたが、それを聞きながら、もしも六道輪廻のことをことを思い浮かべながらマントラを唱えるとしたら、ちょっと辛いかなと思っていました。実際には、「他の生き物に対する慈悲心を思い浮かべながら」ということでしたので、それなら自分にもできると思いました。

六道輪廻は仏教特有の考え方で、個人的には、頭ごなしに否定はしないまでも、まるっきり信じるということも難しいと思っています。一方で、生まれ変わりはあるだろうな、と思っています。実際に前世を覚えているわけではないですが、そういうお話はありますので、違和感は少ないです。

しかし、今生が人間で前世が餓鬼でした、あるいは阿修羅でした、あるいは犬や猫の畜生でした、という前世譚は、まあ、スピリチュアル関係でも聞いたことがないですね。なので、六道輪廻に関しては、いわゆる「方便」ではないかという気がします。

 

もっとも、それで衆生を涅槃に導けるならそれでいいのかもしれません。フィクションの物語を読んで何かに目覚める、ということは普通によくあることですし、フィクションがきっかけだったからといって、目覚めも偽物かというと、そういうことはないと思います。

さて、来年以降のことですが、他の瞑想修行にも参加してみようと思っているのですが、それは箱寺先生のゾクチェンの瞑想教室と平行しても問題ないでしょうか?

「無常の瞑想」を実践してみて思ったことですが、このような心に関する修行をするにあたり、何らかの必要とされる素養のようなものが足りていないのではないか、という思いが拭えません。それが何かはわかりませんが、来年以降にそれを探してみたいと考えています。

ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

 

【お知らせ】

 

今日積んだ功徳があなたの所に届きますように。