モンゴル滞在の話の二回目。6月22日(土)には二時間車に乗って、平原の中にぽつんとある丘で「山の香煙供養」をしてきました。どうして家どころかゲル(モンゴルのテント)もないようなところで、モンゴル人がボン教のラマたちを招いて供養をしてもらうように依頼してきたのか不思議でした。
なんでもこの人里離れた土地は、先祖伝来の土地だそうです。この「山の香煙供養」にはこじんまりとひと家族だけが参列すると思っていたのですが、実際には10台ほどの車に分乗して、50人ほどのモンゴル人が集まりました。よほど彼らにとって重要な土地なのでしょう。
モンゴルでは中国人による土地の買収が活発だそうですが、買収した土地は何も活用せず、放置したままのケースが多いそうです。将来地下資源を採掘することを目的としているようです。
6月26日(水)には、さらに遠方まで出かけました。ボン教僧院から舗装された道を2時間ほど進んだ後、いきなり道路を離れ、草原の中に突入。道なき道を二時間ほど進んでいきましたが、ところどころゲルが点在し、馬と羊のいくつもの群れが遠くに見えます。
大平原の中の小山のふもとには、ひと張りのチベット式テント。ラマたちはそのテントの中に入り、ツァンパを使ってトルマという供物を作り始めました。ちなみにツァンパとは大麦の粉を炒ったもので、チベット人の国民食です。
モンゴルではツァンパはパッケージに入れられ、スーパーマーケットで販売されているようです。チベットではヨーグルトから低アルコールのお酒(ショチャン)が造られますが、モンゴルにも同じものがあります。モンゴルとチベットは、食文化が似ているような印象を持ちました。ショチャンは東京のチベットレストランで頼めば出してくれるので、ぜひ一度お試しあれ!
午前11時ころからトルマを作りはじめ、二時間後にようやくすべての準備が完成。いよいよ竜神供養(ルートル)の儀式が執り行われました。供養の前には15分ほどかけて、モンゴル人ラマであるゾパ・リンポチェがモンゴルの人々に法話をされていました。どんな法話をされているのか、興味深いです。次回彼に聞いてみます。
13世紀にチベットを侵略したモンゴル。それ以来熱心なチベット仏教になったと、知識では知っていました。でも、ラマ・ゾパ・リンポチェの話の様子だと、どうやらモンゴル人のチベット仏教の受容はそれほど完全なものではないような気がします。
たとえば、この竜神供養の場所にたまたま日本語を話せるモンゴル人がいました。彼は千葉県流山市に一年ほど住んで、日本で仕事をしていたそうです。いまはゲルク派のお坊さんをしているとのこと。しかし彼には妻子がいるそうです!
チベット仏教の各宗派の中で、最も戒律の厳しいのがゲルク派。チベット、インド、ネパールではゲルク派のお坊さんが妻子を持つなんて考えられません!でもモンゴルでは普通のことだそうです。
それ以外にも、ラマや帰依の対象の前で五体投地をしないそうです。むかしながらの習慣を頑なに守っているところもあるようです。とはいえ供養が始まると胸の前で合掌をする人もいるので、篤い信心はあるようです。
竜神供養が終わると、モンゴル人歌手による歌謡ショウ、はるか彼方に見える大きな丘の麓で折り返す競馬、ちいさな女の子による駆けっこ、男の子供のモンゴル相撲などがあり、ちょっとしたお祭り気分に包まれました。
ひととおりのイベントが終了すると、どこからともなく冷たい風が吹き、黒い雲が湧いて、空から雨粒がぽつりぽつり降ってきました。最終的にはちょっとした雨嵐になり、帰路の途上で車がぬかるみにはまってしまい、しばらく立ち往生することに。
帰りの車の中でボン教のラマたちに、「竜神供養の効果てきめんですね!」と冗談めかして言ったところ、「こんなのあたりまえだよ~。なんたってトンパ・シェンラッブが説いた竜神供養の教えだからね~」となんともない素振りの顔で返事が返ってきました。恐るべし、ボン教の供養儀礼!
ボン教ゾクチェン ちいさな瞑想教室 ご予約受付中!
- 7月21日(日)東京 ポワ瞑想入門
- 7月28日(日)東京 ゾクチェンの基礎知識2
- 9月1日(日)大阪 ゾクチェン瞑想教室
- 9月1日(日)大阪 三種の真髄マントラ