弱者のためのボン教ゾクチェン瞑想

シャンシュン・ニェンギュの教え

輪廻とは

ゾクチェンの教えを日本で伝授している箱寺です。ゾクチェンの教えやチベット瞑想について執筆しています。よろしくお願いいたします。

  

 

普通私たちは、人間は死ぬとそれでなにもかも終わりだと考えます。死とは意識の働きと、肉体の働きが停止することです。

 

 

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輪廻図

 

 

脳波や呼吸や心臓が止まると、見たり聞いたりできませんし、二度と起き上がることもできなくなります。意識の働きが止まると、感じたり考えたりすることができなくなります。そして死体という単なる物質に帰るのです。

 

 

この場合、私たちの命というのは直線を描くと考えることができます。 この世界に誕生することが始点で、成長を経て、死という終点を迎える。誕生のまえにも命は存在しないし、死のあとにも命は存在しません。

 

 

しかしブッダの教えでは、死は終わりではないと説かれています。なぜならば、私たちは死んだら再び生まれ変わらなければならないからです。生まれ変わるときには今持っている身体と意識を捨て去り、まったく新しい身体と意識を手に入れます。

 

 

生まれ変わったあと、成長し、いつか再び死を迎えます。そしてまた新しい世界で新しい身体に生まれ変わり、成長し、再び死を迎えます。こうして何回も何回も死と生をくりかえすのです。このことを「輪廻」と呼びます。

 

 

「輪廻」は文字通りには、「車輪のように廻る」といった意味になります。車輪がくるく廻るように、私たちの命もくるくる回るというのです。繰り返し繰り返し、終わることなく生死を繰り返すことなのです。

 

 

生死を繰り返すのは、私たち人間だけではありません。象も、牛も、犬も、ネコも、鳥も、魚も、昆虫も、バクテリアもあらゆる生きものが輪廻を繰り返すのです。そして、生まれ変わるたびに、今とは異なる身体を手に入れるのです。

 

 

「輪廻」の世界が楽しいところだったら、生死を繰り返すことは大歓迎です。ところが、実際には苦しみと悲しみに満ちているのが「輪廻」の世界の正体。

 

 

輪廻には始まりがありません。つまり始点がないのです。ですから経典には「始まりもないときから私たちは輪廻を繰り返している」と説かれています。

 

 

「輪廻」には始まりはありませんが、終わりはあります。あなたがブッダの教えを学び、それを修行して、悟りと解脱を得たときが「輪廻」の終わりなのです。

 

 

 

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