弱者のためのボン教ゾクチェン瞑想

シャンシュン・ニェンギュの教え

無常の瞑想、体験記

三宝に帰依します。

 

10月に東京の瞑想教室で、「無常の瞑想」を伝授しました。そのときに参加された方から、「無常の瞑想」を修行した体験記をいただきました。その方の許可を得たので、このブログに転載します。

 

この体験記は、「無常の瞑想」や「加行」に励んでいるあなたを励ましてくれます。是非お読みください。

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 無常の瞑想の伝授を受けてから早2カ月。加行の中でもいちばん最初に取り組むべき、非常に重要なものといわれる無常の瞑想。「最低でも1日2時間を1か月」と箱寺先生には言われましたが、家に帰ると私は、日々の仕事や生活、家族との団欒、その他雑事にかまけてしまい、1日1時間とか、あるいは2,3日続けて全然瞑想できなかった時もありました。心が散漫に乱れなかなか瞑想に集中できないときなど、その1時間がとても長く感じられたことも。

 

 無常の瞑想をするにあたっては、箱寺先生のアドバイスどおり、具体的で小さなもの、自分の身近にある物質が移り変わり変化していくさまをイメージしました。基本、簡単でシンプルな内容を繰り返しました。それでもはじめはなかなかうまくイメージが作れず、困惑しました。慣れるまで少し時間がかかりました。慣れてきたら、今度は単純なイメージを少し複雑にしてみたり。

 

 テーマに沿って、物体が燃え尽きていくさま・容器に水が溜まり溢れていくさま・果物を食べる・植物の成長、1日の移り変わり、自分の毎日の生活パターン、などといった感じで。1回の単位をあまり長く取らないで、それを何度か繰り返してから、次に行くようにしました。

 

 故郷の生家がやがて無人となり取り壊され更地になっていくさまや、自分の一生、愛する人たちとの出会いから別れ。そうやって無常の瞑想を始めていきましたが、はじめた当初は、ひどく悲しくなったり、ザラザラ砂を噛むような心底味気ない気持ちになったりもしました。得られた効果や発見・気づきはいろいろありました。それをこれから書き出してみます(私は今まで述べてきたように瞑想初心者で、また、なかなか集中して取り組む時間も取れなかったしで、瞑想上の深い体験のようなものは得られませんでしたが)。

 

  • 物事は絶えず移り変わり変化していく(という事実から目をそらさないこと)
  • 「無常」にはネガティブな面だけでなくポジティヴな面もあること(病やケガの治癒、人間関係の思わぬ好転、嵐の後の晴天、etc.)
  • 人生の有限さ。自分が今、人生のどのあたりの地点にいるのかが見えた
  • 自分が愛着する存在たちの、「儚さ」と「かけがえのなさ」ということを痛切に感じた
  • 私自身の心の中に子どもの頃から強くあった悲しみ・苦しみは、これ(=無常であること)に対する悲しみ・苦しみであり悲嘆だったんじゃないか。心の底からそう思った。

 

 そして、無常の瞑想を繰り返すことによって、私は、思いもかけず精神的な安定性が得られた。この安定性は、一時的ではない、何か不可逆的な安定性・こころの落ち着きだという感じがしている。私はこれまで、メランコリックな気質の部分を抱えながらずっと生きてきたので、これはまったく意外な贈り物でした。あとは、何よりも、瞑想することがある程度日常の習慣になったこと。

(東京都 男性 無常の瞑想)

 

【お知らせ】

 

今日積んだ功徳があなたのところに届きますように。