三宝に帰依します。
先日、京都の某所でひっそりと「AIとCompassion」をテーマとしたワークショップがおこなわれた。何か手続き上の間違えがあったにちがいない。なぜか私もその場に呼ばれて、のこのこと出かけた。他の参加者には大変な迷惑だったはずだ。(謝罪)
その中で、私が「ボン教の慈悲論」について発表させていただいた。誰の役にも立たない内容にちがいないが、その内容に少し手を加えたものをこのブログに転載しておこうと思う。
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はじめまして。私の名前は箱寺孝彦です。私はボン教の瞑想修行者です。ボン教はチベットオリジナルの宗教です。ボン教はブッダの教えです。今日はボン教の慈悲論について簡単にお話ししたいと思います。
ボン教には、さまざまな種類の慈悲の教えがあります。ここではその慈悲の教えを、三種類のレベルに分類して説明したいと思います。第一レベルの慈悲の教えは、同情する心や愛する心です。これは誰でも取り組めるわかりやすい慈悲です。それは、困ってる人を助けることです。それはお腹を空かせている動物に食べ物を与えることです。この慈悲は、他人や他の生き物に利益をもたらすことを目的としています。
第二レベルの慈悲の教えは、瞑想修行者たちが取り組むものです。彼らは、もうひとつ別の目的のために慈悲を用います。私たちはいつも自分の事ばかりを考えています。自己中心的な考えに支配されています。厚い殻の中に閉じこもっています。だから、新しい価値観やブッダの教えを拒絶してしまいます。
そこで瞑想修行者たちは、はじめに慈悲の瞑想に取り組みます。慈悲の瞑想では、他の生き物を救うことだけを考えます。また、慈悲のマントラを唱えます。そうすると、意識が内側から離れて、外側に向き始めます。つまり、固いエゴの殻に小さな穴が開くのです。このレベルの慈悲では、実際に誰かを助けたりするような利他をすることは重要ではありません。心を柔らかくすることが重要なのです。
こうしてようやく、瞑想修行者たちは本格的にブッダの教えを心に取り入れることができるようになります。そして、より高度な瞑想修行に取り組むことができるのです。
このようにボン教では、心を柔軟にする目的でも、慈悲の修行がされています。新しい価値観を取り入れるためにも、慈悲が役に立つと考えているのです。
第三レベルの慈悲は、最も完成された慈悲で、ブッダの慈悲だともいわれています。それは「三輪清浄の慈悲」です。「三輪清浄の慈悲」では、慈悲を行う主体も光の幻になります。慈悲の対象も光の幻になります。したがって、慈悲の行為そのものも光の幻になります。
仏教理論に詳しい人ならば、「三輪清浄の慈悲」という言葉に対して「おぉ!」とどよめくはずです。しかし、普通の人でしたら、「三輪清浄の慈悲」がいったい何の役に立つのだろうかと、首をかしげるはずです。私自身ときどどき、首をかしげたくなることがあります。
ブッダの慈悲でさえ、私たちにとっては役に立つのかどうかわからない代物なのかもしれません。いわんや、人間の慈悲やAIの慈悲に対してあまり期待しない方がいいのかもしれません。
このボン教の慈悲論が皆さんの役に立つことをお祈りします。ありがとうございました。(終)
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